空手道の「空」
空手道の「空」

空手は昔の沖縄では手(て、ティー)もしくは唐手(からて、とうで)と呼ばれていいました。
般若心経では、「色とは目に見えるもの」「空とは目には見えないもの」つまり、この世に存在するもの全て、本当は何も無いと説いています。
何をしても無駄というネガティブな言葉ではなく人には無限の可能性があるという解釈になるようです。
道場では強くなりたい、試合に勝ちたい、昇級したいという目標を達成するための過程で、多くの人と出会い、仲間と協力したり、ライバルとして競い合いながら様々なことを学びます。
「空手道」という名称には、「人には無限の可能性がある、それを信じて、無心で真剣に打ち込めば道は必ずひらける」という思いが込められているようです。
●追記…
宇宙(そら)の約束 (「般若心経」山元加津子 心訳)
確かに確かに座っている 大きな宇宙の約束が いつもいつもささやいている
いつかいい日の明日のために いつもいつもささやいている
忘れないでね 大切なのは 心の目と 心の耳をすますこと そして 自分を信じること
むかしむかしのことでした 心の目と心の耳をすましたある人が
宇宙の約束とつながって 本当のことに気がついた
すべてのものは どれもみんな その約束からできている
約束は 目にも見えず 重さもなくて あるのかないのか わからないけど
でも 宇宙(そら)の何もかもが この約束からできている
「いいことに気がついちゃった」と その人は
苦しまなくていいんだなあ 悩まなくてもいいんだなあ
とても嬉しくなりました
宇宙に散らばっている たくさんのつぶつぶは 約束のもとに集まって
海を作り 山を作り 花を作り 人を作る
約束は目にも見えず 重さも持っていないけど
風をそよがせ 雨を降らせ ときには星を輝かせる
誰かと誰かを出会わせて 誰かと何かを出会わせて 涙や笑顔を作り出す
私とあなた あなたとお花 お花と石ころ みんな同じ
同じもので できている
違うのは だれもが持ってる約束の 私が私である場所(とこ)や
花が花である場所(とこ)に 光があたっただけのこと スイッチが入っただけのこと
あなたは 私だったかもしれないし 私は もしかしたら
庭に咲くたんぽぽや 降る雪だったかもしれないね
約束は私をつくり 私の中に宇宙の約束が座っている
すべてのものが 約束の中にあり 約束は すべてのものの中にある
でもね 忘れちゃいけないの
約束には無駄がなく 必要なものだけを いつもちゃんと作ってる
花がそこに咲くことは それが大切だという証(あかし)
私がここにあることは それが必要だという証(あかし)
宇宙(そら)の約束とつながって
過去と今 今と未来
すべてのことを見渡すことができたとき
きっときっとわかること
すべてのことは いつもいつも いつかのいい日のためにある
うれしいことも悲しいことも きれいなことも 汚れたことも
増えることも 減ることも その約束の現れだけど
現れているすべてのことが いつかいい日のためにある
だから思うの 生きていると いろんなことがあるけれど
楽しいことも 苦しいことも 悲しいことも うれしいことも
雨や 雪や 月の光が 空から降ってくるように
手を広げて 受けとめていけばいいんだね
怖がらなくてもいいんだよ 悲しまなくてもいいんだよ
だって すべてがだいじょうぶ すべてが みんなだいじょうぶ
揺れる 歌う 踊る 祈る…跳ねる 描く 回る 思う……
約束と つながっていく方法は いつも私の中にある
揺れて踊って 飛んで思って 心の目と 心の耳が開いてく
そして 本当のことを知る さあ 明日へ歩きだそう
大切なことは 心の目と 心の耳をすますこと
そして 自分を信じること
花が咲くように 雪が舞うように 月が照るように あなたといたい
鳥が飛ぶように 風が吹くように 海が歌うように あなたといたい
広い宇宙(そら)の中で 長い時間の中で あなたと出会えたこと
きっときっと宝物
星があるように 山があるように 空があるように あなたといたい
自分の身体のその奥に