礼儀作法

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Byblacksabbath1104


礼儀作法

DSC_0035_convert_20170822135742.jpg挨拶や返事では、その人の心の状態が一番わかりやすい形で現れます。
礼儀作法とは、自分を心と体の姿勢を整えながら他人の行動や感情に対する“気遣い”や“思いやりの心”を形としてあらわしたものです。そして社会的な地位や立場に対する正当な敬意をあらわします。





礼法とは…
礼は決まりではなく人間の良識から発生する『ものの道理』です。
礼法は時と場所、状況、相手によって臨機に変化させ即応することが必要です。作法やマナーを『きまり』『規則』『ルール』だと思ってしまうと、主体性がなくなり、時と場所を使い分ける柔軟性を奪います。 【例】 一般的な場所では十字礼や押忍という返事は相応しくありません。作法とは「自分の立場を知り」「周囲に不快を与えない」ことです。それは、人を「困らせない」、「怒らせない」、「淋しがらせない」、「心配させない」、「手数をかけさせない」、「いやがらせない」、「恥をかかせない」、「当惑させない」などを言います。何が相手にとって「不快」かということを理解するには、立場を変えて考えてみるという意識の切り替えが必要です。「礼儀作法」とは身の処し方の知恵ともいえます。視点を変えれば自滅を避けるための動き方の心得です。不作法が対立を生み危険を招くということを理解すれば、礼儀作法は、レベルの高い護身術(心得)にもなります。

挨拶 とは
人間関係の基本はあいさつです。挨拶とは、お互いが尊重しあうための意思表示です。道場だから巌しく礼儀正しくするという考え方ではなく、あいさつをすることで和を与えられると考えてください。挨拶は人にプラスの感情を与える最も簡単で労力のいらない方法です。元気な挨拶は人に活力を与えます。“ありがとう”という言葉も同様です。「与えれば与えられる」とは、自己犠性ではなく自分を高めるための行動といえます。与えるという最も根源的な習慣が“挨拶”と“感謝する”ということです。先生や先輩だけでなく後輩達、そして日常生活でも自分から積極的に挨拶を行なうようにしたいものです。

日常の立ち居振る舞い
道場でのマナーとは武道人としての心構えを表します。武道では「残心」という言葉があります。技を決めた後も気を緩めず、反撃に備えつつ効果を見届けるという心の備えです。日常生活に重ねると、周囲への迷惑を考えない携帯電話の使い方、バッグ類で出入り口を塞いだり、車間距離を考えない車の運転等、自分の意識(不注意)が無用に人を不快にさせるだけでなく、自分自身を窮地に追い込むことにも繋がります。人や物に接触したり、物につまずいたりするのは「不用意」と、「油断」を示し武道人としては恥ずかしいというくらいの気持ちで日常行動の一つひとつに気を配るようにします。道場内の施設を使用する時は自身を律する心構えや、周りへの気遣いを充分に理解し自分本位に振舞うことのないようにします。

協調性
道場では多くの仲間と一緒に稽古を行います。規則を軽視して自分の感情や都合ばかりを優先させると、人間関係の部分で問題が起こってきます。道場では周囲を尊重し、礼をつくして謙虚にお願いするという気持ちで稽古をおこない社会的な行動のしかたを身につけるよう心がけます。道場内のきまりを守り、仲間と協力して掃除をしたり、イベントに積極的に参加している間に、大切な社会性も育まれていいきます。

道場で稽古する意義
礼儀作法における視野の広さ、掘り下げる態度(理解の度合い)は、その人の危機意識に比例します。礼法の目的は人を喜ばせたり、自分を立派に見せ、人を感心させるためのアクセサリーではありません。対人関係を望ましい形に維持する心得であり実力です。武道は本来『対立』ではなく『調和』を目指すものです。相手(社会)と自分を一つのものとして、自他共栄に至ることが武道のあり方といえます。道場では仲間を大切にし、協力して、稽古に取り組むようにします。このような態度を習慣化することで、技術の進歩や精神的な成長だけでなく人としての品格が育まれてきます。道場で学んだ精神的なことを自分の生活或は社会に役立てるというところに修行するする価値があります。実生活の様々な場面でどうするべきか?と自分に問いかけながら行動してみましょう。空手の試合だけでなく実生活の中でも強さを発揮できるようになることでしょう。人間形成と一体となり、知情意の三つを円満に養い、真善美を華ねそろえた人を育成していくことをアスリナ道場では目指しています。

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