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教育とは垂範

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Byblacksabbath1104

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教育とは垂範である
インターネットより引用です。(るいネット)

教育とはなにか…を追求していると、重要な視点として「盗む」ということが
どの世代・どの分野に関しても不可欠であることがわかってきた。
ただし、「盗む=学び」という法則が成り立つ場合、どうしても盗む対象が不可欠になると思われる。
多くの本や人から教育とは教育者自身がお手本となる(お手本となれるように日々精進する)ことであり、優しく又は厳しく指導するということではないことが発信されている。
その中でも、端的かつ適格にその内容を表現したものを以下に紹介したいと思う。
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教育とは「垂範」である
道徳というものは刑罰でもない、理屈でもない、
最も真実・自然なのだから、そこで道徳教育となると、
指導者・師たる者が言論よりも方法よりも、強制よりも何よりも、
自然に自らがお手本になるということです。
身をもって垂範する。先生が生徒のお手本になるというのが教育です。
子供は理屈はわからなくても、お手本を見て倣うものです。
模倣模倣というけれども、模倣は感化で、人間の本能です。
子供は何もいたずらに模倣するのではない。化せられるのです。
家庭における子供の躾ということは、子供を叱ったり、強制したりすることではない。
父母のあり方が自然にお手本になることなのです。
                                            安岡正篤
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以上のことを考えると昨今の教え方を考える又は
悩むという流れ自体が間違っているのかもしれないと感じる。
会社での人材教育や子育てに関しても、
「このようにやるんだよ」と教えてあげることができれば、「なるほど」と尊敬される。
もし、質問されても答えることができなかったり、「自分で考えろ」とばかり言って、
何も教えなければ、「あの人は口ばかりで仕事が全然できない」と陰で言われ、ついてこなくなってしまうもの。
やってはいけないことを注意するのであれば、当然自分もそれをやってはいけない。
筋が通っていないことには、人は納得しないもの。
そのようなことから教育法を考えるのではなく、
実は全ての人が自分の発言や態度というものが、
影響を広げていることを自覚し、日々自らを省みることが大切になるのだろう。
“自分の影響は好ましいものか?”
影響力の強い立場の人は、特に自らの姿勢や発言を自省する必要がある。
言葉・表情・態度・行動・思考・感情表現・・・・自分自身をその都度振り返り、自身を磨くことが大切なのだろう。

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