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高橋龍斗 (野田) 

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Byblacksabbath1104

高橋龍斗 (たかはしりゅうと) 

所属:野田道場
2012年3月4日昇段
所属:野田道場
高校1年生
2005年4月13日入会(空手暦7年1ヶ月)


小学3年生の時に、野田道場に入会(後に弟・姉・妹も入会)。 入会したばかりの頃は、意欲も低く、なんとなく来ているという感じでしたが、緑から茶帯になるころに、色々な道場に通いはじめ、意欲が高まってきました。現在は、野田、十日市、岡南、玉野の少年部で補助指導員として後輩をリードしてくれています。

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~空手の素晴らしさ、仲間の大切さ、人間性を高めることを伝えていきたい~
 僕が入会したのは、小学校3年生になった春でした。母が、新聞の広告に入っていた野田道場オープンのチラシを見つけ、教えてくれた事がきっかけでした。
父も中学まで空手を習っていて、子供が出来たら一緒に習うのが夢だったそうです。ただ、その数年前に事故で足に障害を負い、片足で踏ん張ったり出来なくなり、諦めたそうです。

野田の見学会に行き、父は僕の入会を決めてしまいました。僕自身は正直、「遊ぶ時間がなくなるし、嫌だなぁ。」と、思っていましたが、父の言うことは絶対で拒否できませんでした。「中学生くらい迄には、黒帯を取って欲しいなぁ。」と、父の僕への期待が大きくて、もの凄いプレッシャーを感じていました。
最初は週1回の稽古も嫌々だったのに、2ヵ月 後には当時4歳の弟が入会し、ますますやめられない状況になりました。

そのうち、稽古の際に同い年の色帯の人達が最前列で稽古していたり、先生と空手の話をしているのを見て、“僕もあんな風になりたいなぁ”と、思うようになっていき、一生懸命稽古して帯も上がっていきました。
しかし、小学生の頃僕は、試合ではほとんど勝てませんでした。特に女の子には、最後の試合で1度勝った以外に記憶がないくらいに負けていました。何故なら小さい頃から父に、「女の子には絶対に手を出してはいけない!」と教えられており、実際ふざけて女の子にケガをさせてしまった時、逆に学校の先生や相手の親御さんから止められる程、烈火の如く叱られ、それ以降、女の子には手を出せなくなり、試合だと解っていてもつい消極的な試合になってしまっていました。

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中学に入り、部活をどうするか悩みましたが、あれこれ一度にこなせる程器用ではないので、空手1本に絞ることにしました。すると今度は母から、「何事も経験。させてもらえる事は何でもさせてもらいなさい。いい勉強になるから。」と少年部の手伝いに行く様に言われました。

当然、最初は何も出来ず、オロオロするばかりで、いつも先生に叱られていました。でも、僕は小さな子達の面倒を見る事は嫌ではなかったし、教えていた子が昇級したり、試合で勝ったりすると、心から喜んでいる自分に気付いていました。
そんな中、まわりの友達が次々と黒帯になっていきました。「自分にはまだ無理だよなぁ。」と、思っていた中学3年になる春でした。父が大病を患ったのです。母からは、「何時、何が起きても不思議ではない。覚悟はしときなさい。」と言われたのです。

“僕の出来ること、父の喜ぶことは何か?”“母を支える、弟達を守る”それが僕に出来ること。“試合で結果を残す。そして何より黒帯になる事”それが父の喜ぶこと。
中学生のうちに黒帯になることを目標に稽古に打ち込みました。試合では徐々に結果が出始めましたが、昇段審査を受ける許可は中々もらえないままでした。

その後、夏頃には父の体調も落ち着き、「このまま治ってしまうかも。」という程になっていて、どこかで「あせらなくてもいいや。」と自分の都合の良い様に言い訳し、努力を怠っていました。そんな時、母から「お父さん、早よう黒帯になった所を見たいって。あんまり時間無いよ。」と言われたのです。


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それから僕は、冬季の審査会を受けられるよう、必死で練習しました。幸い許可を頂き、当日は父も来てくれました。しかし、あまりの緊張の為、先生から何度も注意を受けていた所を直せていなかったのです。自分の不甲斐なさに情けなくて自信は無かったのですが、条件付きで合格を頂けた時はホッとしたのと同時に今迄以上に稽古しようと思いました。

しかし、受験と重なり思う様にいかず、イライラしていた時期もありました。そんな時両親は、「龍斗なら大丈夫。足りないのは自信だけだよ。」と、常に励ましてくれました。特に父は自分自身が病気で大変なのに“大丈夫、大丈夫”と元気をくれ続けました。

二次審査当日、父は状態が悪く会場に来ることはできませんでしたが、出がけに「自信持って行け。大丈夫、合格できるから。精一杯頑張ってこいよ。」と、笑顔で送り出してくれました。その言葉が僕に大きな力をくれました。結果は合格。僕が結果を知る前にメールで合格を知っていた両親は泣いて喜んでくれました。「絶対授与式に行くからな!」父はそう言って抱き締めてくれて、頑張ってよかったと心から思いました。

しかし、「絶対授与式に行く」という約束を果たせないまま、春季交流試合の5日後に父は亡くなってしまいました。僕はものすごく後悔しました。なぜもっと早く黒帯を取る努力をしなかったのか。父に申し訳なくて悲しくて、生まれて一番というぐらいに泣きました。そんな時も、僕を気遣い叱咤激励してくれる先生や先輩方、それから空手を通じて知り合った仲間達。皆が居たからこそ僕は父の死を受け入れ、乗り越えられたのだと思います。

今僕は先生方について指導の勉強をさせて頂いています。これからは、自分の経験を活かし、空手の素晴らしさや楽しさ、人との出会いと仲間の大切さ、人間性を高めることを伝え、一緒に学んでいけたらと思っています。
最後に、軟弱だった僕をここまで、厳しく、時には楽しく指導してくださった先生方、的確な助言を下さった先輩方、切磋琢磨しあえた仲間達、いつも僕のことを考えサポートしてくれる母、そして何より、空手に出会わせてくれた父に心から感謝します。そして、これからも宜しくお願い致します。押忍


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