伝統稽古
伝統稽古の意義

伝統稽古をしていて疑問を感じる例として…
■組手に(直接)関連あるとは思えない動作の意味は?
■なぜ、三戦立ちは(主に)右足前で行うのか?
■基本稽古では、なぜ顔面のガードをしないのか…引手の意味は?
■組手では使わない立ち方(四股立・かけ足立ちなど)の意味は?
■なぜ気合(声)を出すのか?
…等があげられます。
伝統稽古の基である『型』は、達人といわれる人が、実戦や、自らの修練によって会得した成果を合理的、順序だてて組み立てられたものといわれていますが、一般的に伝えられる解釈(分解)では「現実には、こんな動きはないだろう」と思われることが多いため、「型は実戦では使えない」或いは「型で示される攻防のレベルは低い」だから組手稽古だけをしたほうが合理的だと言われます。競技(組手)試合を行えば誰でも勝ちたいと思うのは当たり前なので、勝利に結びつかないと思う人達にとっては「時間の無駄」という発想になります。
型(伝統)稽古が評価されない原因として…
①シャドウボクシングのように、相手を想定した戦闘訓練としてとらえたこと。
②対人で行う日本本土の武道の稽古体系とは大きく異なっていたこと
③沖縄から日本本土へ伝えられる際に、打撃に特化した武術であることを強調したこと
⑤修練の目標が護身ではなく組手競技の勝利に偏ってしまったこと
伝統稽古(基本、型)の(護身的な)用法は、いくつにも解釈できるようになっていますが、競技試合では、型で示めさせる技はほとんど使用できません。武術の型は安全を考慮していないからです。また達人と言われる先生方は「この型の第一挙動はこう使う」という単純な分解はあまり重要ではないと言い切り、型の用法(解釈)などは自分で考えてもよいとさえ言われます。伝統稽古で大切なのは、決まった形を目指して行う自分との対話と言えるでしよう。つまり…自分の心体と対話しながら、その理解と活用法を学ぶために行われるべきものです。組手の上達には関連性がないと思われがちな伝統稽古ですが、型の上手な人は組手も上手な人が多いという事実もあります。それは型稽古で行われる自分との対話により、軸や重心、呼吸という組手でも重要な基準が感覚として心体に出来上がる(またはもともと持っていた)からではないかと思われます。最大の敵は自分自身といわれるように、相手の体格や強さ、速さ、うまさになど外的な条件にとらわれているようでは組手の上達にも限界が見えてくるということではないでしょうか。道場では、伝統的な技(基本・移動・型)の稽古をただやみくもに行うのではなく、稽古を行う人が、意味を感じながら前向きに取り組んでいけるよう、研究し紹介していきたいと考えます。