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武術から武道・体育へ

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Byblacksabbath1104

 
武術から武道・体育へ

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空手は、もともと琉球王国時代の沖縄で発祥した武術で、昔は手(ティー)もしくは唐手(トゥーディー)と呼ばれていました。
当時は人目につかないよう夜や人里離れた墓地などを選んで口伝と実技(型)のみで伝授され、一つの型の習得に3年を費やしたと言われます。
組手は一種の約束組手が存在していたようですが、自由組手や試合はなく、覚えた技を試したい場合は、立会人をつけて掛け試しといわれる野試合が行われていたそうです。
今日の空手は打撃技を主体とする格闘技(武道スポーツ)として普及していますが、沖縄では取手(とりて)と呼ばれる関節技や投げ技や、棒術やヌンチャクなどといった武器術も併せて修行されていました。
裕福な士族の間で密かに伝えられてきた唐手でしたが、明治12年(1879年)、琉球王国が滅亡すると、唐手の担い手である士族は、一部を除いて瞬く間に没落し、失伝の危機を迎えようとしていました。
この状況を糸洲安恒(いとすあんこう)先生が唐手を武術から体育に変化させ学校教育の一環として公開し普及させることで失伝の危機を回避したのでした。
体育への変化とは主に、型の創作や改良でした。
代表的な創作型である“平安”は“公相君”(クーサンクー・現代名:観空)をはじめとする古伝の型から危険な技(急所攻撃や武器法)を大幅に除き初心者にも修練できるように初段から五段に分類し整理したものです。
初心者用の型として比較的、軽視される傾向のある“平安”ですが、近年では、高度な技法が含まれた重要な型として研究家の間では見直されつつあるようです。
本土では身体操作や実際の用法などが十分に伝承されなかったため、西洋の運動理論などで補われ、立ち方や挙動の変更など各流派で独自の解釈を加えながら継承されています。

写真は、沖縄の空手の達人の先生方。…前列右から2番目が糸洲先生。

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