メール通信(2013.06.17)
定期通信
会員・保護者の皆様、いつもありがとうございます。

先週の土曜日で夏季審査会の受付を終了しました。
白から黄帯までの生徒はだいたい
出席回数と稽古期間そして年齢を考えて
すんなり申込み用紙を渡しますが
緑帯以上の上級者は
なかなか承諾しないようにしています。
審査を受けてから
出来なかった部分を再確認で直すこともありますが
上級者には事前の準備を
意識してもらいたいと思っています。
審査を受けたいと言ってくる生徒の多くが
何が出来るようになったら昇級するのか
理解していないこともあります
私も、受けさせようか迷う時もあります。
そんな時は生徒に問いかけます…
今のままで審査を受けたら確実に再確認だよ
それでも審査を受けたい?…と
それを聞いて次回に回す生徒もいれば
それでも受けたいと言う生徒もいます。
不思議なことに
受けた生徒も次の審査に回した生徒も
案外すんなり合格したりします。
はっきりとはわかりませんが
行動をする前に自分の意思で
決断したからではないかと思っています。
●イベント日程
6月23日(日) 夏季審査会(野田道場)
7月7日(日)フリースタイル勉強会(美作)
7月2日7(土)~28日(日) 少年部合宿旅行
●今週の一言(138)
なせば成る
なさねば成らぬ何事も
成さぬは人の
なさぬなりけり
●解説
江戸時代、米沢藩の藩主上杉鷹山の言葉です。
養子だった鷹山が米沢藩の藩主になったのは、
わずか17歳の時でした。
財政が困窮しているため、まっ先に行ったのは厳しい倹約でした。
大幅な収入が見込めない以上、
できるだけ出費を切り詰めなければなりません。
質素倹約を奨励しましたが、
将来の財政に繋がることにはお金を注ぎました。
自らも鍬(くわ)を取って働きつつ、米の生産高を上げるために、
新田開発や河川の改修、橋の架け替え、もみ倉の建設などを行いました。
温泉地帯での塩の精製、藩内で産出する火打ち石の江戸での販売、
墨、すずり、染料の藍玉の製造、陶器焼き場の建設、
鯉の育成など、産業振興による収入増を行いました。
下級武士には内職として一刀彫や人形などを作らせ、
少しでも収入にするよう奨励しました。
また江戸から有名な学者を招いて藩の学校・興譲館を開き、
家柄にとらわれない優秀な人材を育てました。
こうして藩の建て直しの目途が立った頃、
鷹山は35歳の若さで藩主の地位から退き
前藩主の実の息子に藩主の座を渡したのでした。
●参考…『13歳からの 道徳教科書』/育鵬社
最後まで、読んでいただき有難うございます。
会員・保護者の皆様、いつもありがとうございます。

先週の土曜日で夏季審査会の受付を終了しました。
白から黄帯までの生徒はだいたい
出席回数と稽古期間そして年齢を考えて
すんなり申込み用紙を渡しますが
緑帯以上の上級者は
なかなか承諾しないようにしています。
審査を受けてから
出来なかった部分を再確認で直すこともありますが
上級者には事前の準備を
意識してもらいたいと思っています。
審査を受けたいと言ってくる生徒の多くが
何が出来るようになったら昇級するのか
理解していないこともあります
私も、受けさせようか迷う時もあります。
そんな時は生徒に問いかけます…
今のままで審査を受けたら確実に再確認だよ
それでも審査を受けたい?…と
それを聞いて次回に回す生徒もいれば
それでも受けたいと言う生徒もいます。
不思議なことに
受けた生徒も次の審査に回した生徒も
案外すんなり合格したりします。
はっきりとはわかりませんが
行動をする前に自分の意思で
決断したからではないかと思っています。
●イベント日程
6月23日(日) 夏季審査会(野田道場)
7月7日(日)フリースタイル勉強会(美作)
7月2日7(土)~28日(日) 少年部合宿旅行
●今週の一言(138)
なせば成る
なさねば成らぬ何事も
成さぬは人の
なさぬなりけり
●解説
江戸時代、米沢藩の藩主上杉鷹山の言葉です。
養子だった鷹山が米沢藩の藩主になったのは、
わずか17歳の時でした。
財政が困窮しているため、まっ先に行ったのは厳しい倹約でした。
大幅な収入が見込めない以上、
できるだけ出費を切り詰めなければなりません。
質素倹約を奨励しましたが、
将来の財政に繋がることにはお金を注ぎました。
自らも鍬(くわ)を取って働きつつ、米の生産高を上げるために、
新田開発や河川の改修、橋の架け替え、もみ倉の建設などを行いました。
温泉地帯での塩の精製、藩内で産出する火打ち石の江戸での販売、
墨、すずり、染料の藍玉の製造、陶器焼き場の建設、
鯉の育成など、産業振興による収入増を行いました。
下級武士には内職として一刀彫や人形などを作らせ、
少しでも収入にするよう奨励しました。
また江戸から有名な学者を招いて藩の学校・興譲館を開き、
家柄にとらわれない優秀な人材を育てました。
こうして藩の建て直しの目途が立った頃、
鷹山は35歳の若さで藩主の地位から退き
前藩主の実の息子に藩主の座を渡したのでした。
●参考…『13歳からの 道徳教科書』/育鵬社
最後まで、読んでいただき有難うございます。