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空手道の継承(生徒レポート)

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Byblacksabbath1104

 
空手道の継承福田尚起(津山道場) 
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●空手道の歴史を学ぶ意義
私は、空手という武道を通して心身共に強くなりたいと思い、日々鍛錬しています。空手で心身を鍛錬するといっても、武道とは、そして空手とは何かが明確でなければ、修行の内容や目標とするものが曖昧になってしまいます。
そこで、武道を志す者自らが日々の鍛錬、練磨を通じて武道観を養う為には、空手の源流や歴史を知っておくことも大切だと思い、空手界における様々な出来事や時代の流れを追いながら空手道を求めることにしました。

●空手道の発祥
日本の空手の発祥の地が沖縄(当時の琉球王国)であるということは既に承知されている事実であります。
しかし、原点はインド古代の闘技に源を発し、仏教東漸(ぶっきょうとうぜん)に伴って東方各地に影響を及ぼし、各民族固有の闘技と結びつきながら、中国、沖縄へと伝来したようです。
そして、沖縄には地理的に海賊などの外部の敵が入りやすかったことで、自己防衛の為に「手(ティー)」といわれる独自の武術が生まれたと言われています。
貿易が盛んだった琉球王国は、中国人との交流もあり、そこに中国伝来の「拳法」が融合して発展したのが唐手で、現在の空手の原型といわれています。
沖縄が琉球王国という独立国家だったということで、「琉球拳法」という人もいるようです。

●沖縄武術としての発達
さて、その唐手が沖縄で大きく発達するきっかけとなったのは、当時の琉球国王である尚真王(しょうしんおう)<1477年~1526年>が中央集権化による「禁武政策」によって武器の携帯を禁止されたことと、薩摩藩による琉球侵攻<1609年>であるという定説が今日に伝わっているようです。
そして武器の携帯を禁止された琉球の民達は、武器を持たず戦える武術を身につけることを余儀なくされることとなります。当時の唐手は、まさに武器に対して徒手空拳で身を守る術であり、戦えば生か死かのいずれかでありました。
もちろん、刀と素手で戦えば、天と地ほどの腕の差がなければ到底勝ち目がありませんでした。
そこで、身の回りの道具を利用して鎌、ヌンチャク、トンファー、棒など身を守るための武器術なども必然的に開発されていきました。しかし、その技は一子相伝の秘術として長年表面化することはなかったと言われています。

●流派の発生~教育への導入
その後、明治後期、首里手(しゅりて)松村宗根<1809年~1899年>、泊手(とまりて)松茂良興作<1829年~1898年>、那覇手(なはて)東恩納寛量<1853年~1915年>などの中興の祖により近代の空手の元になる形に体系化されました。
またその後、糸洲安恒<1831年~1915年>によってまとめられた「唐手十ヶ条」が沖縄県学務課に提出され、唐手は学校体育で取り入れられるようになり、一子相伝の武術から近代体育となったようです。
1900年代には松濤館流創始である船越義珍、糸東流創始である摩文賢和、上地流創始である上地宗文、剛柔流創始である宮城長順等によって、日本全国にも紹介されるようになりました。
もともと空手には、投げや関節技等を含んだ総合格闘技であったのですが、本土に空手を紹介するのにあたり、本土には既に柔術や柔道といった武術が存在していた為、空手を打撃中心の武術として紹介しました。

●唐手から空手への名称変更
この頃、唐手より空手と変わったとされています。この理由には、中国との問題や素手で戦う武術という意味など色々な説があるようです。
では、空手とは何かと考えたら必殺の技であることは確かであります。しかし、“武”とはあくまでも攻撃ではなく、守りの意味を強く主張されて来ました。これは沖縄空手の『空手に先手なし』という言葉に意味するのかもしれません。
武術とは技であり、肉体的な世界であり、この武術を過酷なまでに修練していく過程を経て、精神世界と一体化した武道へと昇華されて今日に至るのであります。すなわち、空手は武術であり武道であると言えるのかもしれません。
 
●流派の乱立から空手の方向性を考える
そして、現在の空手界にはこの歴史の中で、各々の武道観、すなわち道を究める為の「守・破・離」の3つの過程を経て数え切れないほどの団体、流派、派閥に分かれ、各流派の創始者の精神、教えを伝えながら独自の空手理論で指導されているのが現状です。
「唐手」から「空手」、そして現代では「カラテ」「KARATE」などとも表現され、空手は様々なスタイルや技術体系になって世界中で日々学ばれています。
また、推定競技人口は、サッカーやバレーボールに次ぐほどの国際的地位を確立しています。
歴史を振り返ってみて、これからの空手は「打・投・極」のあらゆる局面で対応できなければいけないと私は思います。

●私見・考察
それぞれの流派、団体が様々な発送で進化していく中、私自身も進化できるよう日々鍛錬を続けていきたいと思います。
IBMA極真会の道場ではフリースタイル空手を学ぶことができますので積極的に学んでいくと共に、ヌンチャク、トンファー、棒術などの武器術も機会があれば学び、幅広く体験したいと思っています。
今まで目標に向かってがむしゃらに練習してきましたが、歴史を通して空手の本来のあり方等を改めて理解できました。自身の組手スタイルで考えてみても、終始攻めのパターンだけではなく、守りから攻め、攻めの中に守りを入れるなど、幅広く視野を捉えての組手を考えていくことが大切であることが実践だけでなく理論も踏まえることによって納得できたように思います。
今後この空手の歴史が形こそ様々ではあるものの、途絶えることのないように“武道人”として継承できるよう一層の努力をしていきたいと思いました。

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